「保育園を早期から利用することで、子どもの発達に影響はあるのか?」
このテーマに関する私の論文が、2024年11月28日に科学雑誌のScientific Reportsに掲載されました。
この研究は多くの報道機関が関心を寄せてくださり、新聞やWeb記事で取り扱っていただきました。おかげさまで多くの方の目に触れることができ、著者としてこの上ない喜びを感じております。一方で、説明が不十分なコンテンツもあり、お読みになった一部の方にはむしろ混乱を招いてしまった点もあるかと思います。
そのため私のブログでも著者としての解説を行うべきと考え、記念すべき2025年の一発目のテーマにいたしました。
研究の概要
今回の研究は、環境省が実施している「エコチル調査」で得られたデータを使用しています。
「エコチル調査」は日本中10万組の親子を対象にした大規模な調査です。ちなみに語源は、「エコロジー」と「チルドレン」の組み合わせです。
このデータを使用して、保育園に早期から通園している子と、通園していない子の3歳時点での発達レベルを比較しました。
研究の対象者
10万組の親子のうち、以下の対象者は今回の研究から外しています。
- 生後6か月より前から保育園を利用している。
- 保育園の利用状況に関するアンケートに不備がある(記入漏れなど)
生後6か月より前から保育園を利用している子を外した理由は、「よーい、はじめ」の時点で誰も保育園を利用していない(=保育園の影響を受けていない)という状態で揃えるためです。
グループ分け
- 保育ありグループ:1歳より前に保育園通園をスタートし、その後3歳まで利用し続けた子どもたち
- 保育なしグループ:3歳まで1度も保育園を利用しなかった子どもたち
ここに当てはまらない場合、たとえば、「2歳までは通園していなかったけど、2歳から通園を開始した」などのお子さんは今回の研究からは外しています。
その結果、保育ありグループが13,674人、保育なしグループは26,220人となり、この2つのグループの3歳時点での発達を比較しました。
発達の評価方法
発達の評価方法には、ASQ-3というツールを使っています。
ASQ-3では、以下の5つの領域に分けて、子どもの発達を評価します。
- コミュニケーション能力
- 粗大運動(走る、蹴るなどの大きな動作)
- 微細運動(指でつまむ、絵を描くなどの小さい動作)
- 問題解決能力
- 個人社会スキル
保護者が、その子ができることをチェックすることで点数が算出され、基準となる点数(カットオフ値)を下回った場合に、発達の遅れが疑われます。
結果
保育ありグループで発達の遅れが疑われる割合が少ないという結果でした。
数値としては以下のとおりです(保育ありグループ vs 保育なしグループ)。
- コミュニケーション:2.1% vs 5.7%
- 粗大運動:3.8% vs 5.0%
- 微細運動:7.0% vs 8.4%
- 問題解決能力:5.6% vs 8.9%
- 個人社会スキル:1.7% vs 5.1%
なお、2つのグループには、保育園に行っているかだけではなく様々な違いがあります。
たとえば、きょうだいがいるか、習い事をしているか、お母さんが仕事をしているか、スマホやゲームをする時間はどのくらいかなどに差がありました。「保育園じゃなくて、これらの違いのせいじゃないの?」というのは当然思いつくところです。そこで、「このような背景の違いを抜きにしても2つのグループに差がある」といえるかを確かめる解析手法を行い、やはり差があることを確認しています。
さて、ここまでの結果を踏まえて、様々な意見が飛び交いましたが、著者としての考え・立場を以下に明確に記載したいと思います。
今回の研究から言えること
日本では「早期の保育園利用ってどうなの?」という議論がいまでも続いています。今回の研究を通して学んだことですが、ヨーロッパではこのような議論はもうだいぶ過去のものになっているようです。
もちろん今後10年、20年、30年後に新たな見解が出てくる可能性はありますが、私の研究だけでなくすでに報告されている論文も探したうえで、いまのところは「早期の保育園利用が子どもの発達に悪い」という科学的な根拠はほとんどありません。
もし「子どもの発達に悪いから、早くから預けるなんてかわいそう」という声にとらわれている親御さんがおりましたら、今回の研究によって根拠のない批判や罪悪感にとらわれることなく、子育てを心から楽しんでもらえるようになれば、著者として、そして小児科医として幸いです。
発達以外の側面は?
「保育園に行くことでのメリット・デメリットは他にもあるんじゃない?」というのはその通りです。分かりやすいものとしては、保育園に通う方が風邪をもらう頻度はあがるでしょう。ほかにも挙げようとすれば、メリット・デメリットともにいくつも出てきます。
あくまでも今回の研究では「3歳時点での発達」に焦点を当てていますので、それ以外の部分については言及できません。
ただ一つ言えることとして、世の中には「早くから預けると3歳時点の発達に悪い」という意見がいまだにあるように、「保育園に預けると○○だよ!」と言われていることが、なんの根拠もないもの・個人の想像だったりすることはよくあります。
良くも悪くも色んな意見を簡単に目にすることができるこの時代ですので、根拠のない意見に親御さんが振り回されて疲れてしまわないよう願っています。
結局、保育園に行った方が良いの?良くないの?
今回の私の研究だけでなく、論文執筆のために様々な過去の論文を読み漁ったうえで、「どっちの方がいいと明確に言える根拠は少ないから、どちらでもOK、各家庭で好きな方を選んでいいんだよ」と私は考えています。
「いやいや、発達に差があったんだから行かせた方がいいんでしょ?」という意見もあるかもしれません。ただし、保育園に預けなかったグループでも、発達の遅れを疑う割合は数%にとどまっております。「差があった」といってもそれほど大きな差ではありません。「家庭での育児=発達を阻害する」という誤った認識が広まらないことも願っています。
さらにいうと、3歳時点での発達が周りよりも優れることに大きな意味があるとは考えておりません。「3歳でみんなより速く走れる!いっぱいしゃべれる!」というのは、イチ小児科医としては重要ではないと考えています。
保育園利用に対する歴史的背景~3歳児神話~
最後に、ヨーロッパでは「保育園に早くから預けると発達にいいの?悪いの?」という議論はすでに過去のものとお話ししましたが、なぜ日本では根強く議論されているのか。その根底にある概念についてお話します。
平成10年版の厚生白書によると以下の点が書かれています。
日本には「子どもは三歳までは、常時家庭において母親の手で育てないと、子どものその後の成長に悪影響を及ぼす」という考えが存在していた(3歳児神話)。
その考えは1960年代に広まり、「少なくともせめて三歳ぐらいまでは母親は自らの手で子どもを育てることに専念すべきである」ことが強調され続けた。その効果は絶大。
この考えに合理的な根拠がないことは厚生白書内で明記されていますが、いまでも完全に払しょくされたとは言えません。共働きが主流になっている世の中で、子どもを保育園に預けないといけない親御さんはたくさんいます。そのような親御さんにとって3歳児神話は、心理的なストレスを増加させるだけでなく、子に対する申し訳なさや、自分を責めることにもつながります。
重要な点なので繰り返しますが、今回の論文によって、根拠のない批判や罪悪感にとらわれることなく保育施設を利用し、子育てを楽しんでもらえるようになればと願っています。
最後に
論文は誰にでも公開されているので、さらに詳しく知りたい場合はこちらのページからご覧ください。ただし、こういった論文は一般の方向けのものではなく、医療者や研究者などの専門家をメインターゲットとしています。専門用語が多く長文のため(そして英文のため)、少々読みにくいかもしれません。
そのため、一般の方に「論文を読んでください」とはとても言えませんので、なにかご不明点がありましたら、遠慮なくお問い合わせページから御連絡いただければと思います。
専門家の皆様におかれましては、論文のほうに責任著者として私のメールアドレスも掲載されていますので、本論文に関するご質問・ご指導などあれば、そちらから御連絡いただけますと幸いです。
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